思春期から青年期の自分の子どもについての関わり方について、振り返ってみました。

この時期の人の成長って、

親の庇護から離れ、自分で選んで決めて行くと言うことを恐々ながらやって行く時期ではないでしょうか。

その判断がわからないから、体験するために行動する。

何事も経験。

とよく言われますが

まさに、その通りだと思います。

痛い経験や成功体験からひとは成長していきます。

経験値からこの先どうなるのかを予測できる親が先に良くならない結末を知らせてしまうと、経験するの事を、学びの芽を摘むことになりますね。

子どもの安全を守ることも親の役目のひとつにだから、良くならない結果の程度にもより、知らせた方が良い場合もありますから、一概に白黒でいい悪いとは、言い切れませんが。

子どもが困るのは、親にとっても痛みです。

子どもを授かったから、得られる辛い体験を親はするのですね。

子どもが失敗するのを見るのが自分が辛いからと、親は失敗させないように、いい道を歩ませようと

干渉しがちです。

わたしもやってました。

子どもが何らかの不調で、学校に行かないのは、そんな姿を見るのは親もイヤなんですよね。

学校に行って、親を安心させてほしい。と言うのが、親の本音のひとつにあるのではないでしょうか。

子どもの気持ちより、親自身が居心地悪いので自分のために何とかしたいと。

でも本来は、本人の問題なので、親は直接どうにもできません。

外側からヤイヤイ言われるほど、子どもは悪化するようです。

じゃあ、親自身は、どうすればいいのか?

ってところに戻ります。

どんな関わり方ができるのか。

どんな関わりは、しない方がいいのか。

或いは、子どものことより、自分自身は、どうなのか?

自分自身の軸はちゃんとあるのか。

いづれにせよ、子どもは親の期待に一生懸命に応えようとし、自分の自我と葛藤すると思います。

あまりにも親の言う通りをしていると、

自分は何をしたいのかがわからなくなります。

キャリアコンサルティングでも、何をしたらいいのかわからない方が来られます。

自分の未来は、どうしたらいいだろう?

何が好きで

何ができるだろう?

チャレンジしたいことは、なんだろう?

どんな可能性があるのだろう?

そこを悩んで悩んで、自分で選択して、

自分で決めて行く。

それはとても勇気がいります。

そのことがとても『わたしらしさ=自分が自分であること』の大事ことだと感じています。

見ていてくれる人がいる

応援してくれる人がいる

そう思えただけでも勇気が湧いてきます。