最近目からウロコが落ちたような言葉に出会いハッとしたことが3回ありました。
1 場にすでにロールがある
2 場が先にエッセンスを持っている
3 Interactive 相互関係が先にある。それにより自分の経験が生まれる。
FBで投げたらどうゆう意味か教えて欲しいとリクエストがあったので、
書き出してみます。
まだ自分自身のなかで充分熟れていないのですが、今の時点での私なりの理解として出してみます。
まず、1「場にすでにロールがある」
これはプロセスワーカーのとこさん(横山十祉子さん)がおっしゃった言葉でした。
「お金ってなんだろう? システムアウエアネスの世界から覗いてみよう」というワークショップに行き、ワールドワークというものをやっている時でした。
ある対立が起きているテーマを設定し、そこに登場する人を想像し、その人の役となりきって自分のアドリブから言葉を発して対話していくものです。
その役のことをロールと呼んでいます。様々なロールになり意見を出すことで、そのロールの奥深くに宿る感情や願いを感じることができて、場が深まるのです。
それぞれの人は、自分の共感する立場からロール(役)には 入っていきます。
自分のなかで、「試してみたい」という好奇心がわけば 反対側の立場の役にも入れるのです。
こうして、さまざまなランクや立場のロールから意見を言う事で、自分のなかでスイッチが起こり、お互いの気持ちが分かり合えたり深い部分での連帯感が生まれていきます。
私は、今まで 人というものは性格があり、声の大きい人や、思いがあるのに引っ込み思案で自分を出せない人、リーダーシップのある人や、アレンジの上手な人など、「人」というものに特徴があるゆえ、大勢が集まった場合、各々の特徴が発揮され、それなりの組織となっていくものだと思っていました。
人となりがロールを持ってくると思っていたのです。
あの人がリーダね。とか
いつもあの人は、場を乱すね。とか
人に要素があり、役割となっているものだと思っていました。
しかし、とこさんはおっしゃいました。
「場に すでにロール(役割)はあるのです」
その瞬間、人と役割というものが見事に分離されました!
人が役割を背負っていやってくるのでなく、場に初めからロールがあったんだと。
そのロールを、やってきた人が取っていただけなんだと。
取っているという事は、それが100%その人というわけではなく、いつでもそのロール(役)を手放すこともまた可能なんだと。
例えば、分かりやすい例だと、町内会の三役というのが既に場にあり
それを誰がとってもオッケーだということ。
だれが適役かということもありますが、それは限定や確定でなく
だれがその役をとってもいいこと。取ろうと思えば、だれでもそれができることです。
町内会やPTAだと決まった役が初めから組織として決められているので
当たり前ですが、
今度は、まったく新しいコミュニティーの発足を考えてみればどうでしょうか?
どんなロールがありますか?
口火を切る人
笑いを取る人
盛り上げる人
冷静に判断をする人
戦略を練る人
ほっとするようなインパクトを場に与える人
人と人を繋ごうとする人
マインドフルな人
そんなロールが既に場にある。
そして、そのロールを誰がとってもいいという自由度の高いものがあるとしたなら、そのコミュニティーはどのようなものになっていくでしょうか?
人とロールを切り離して見ることができたなら、自分自身や相対する人が取っているロールの意味はなんなのでしょうか?
こんな視点でお互いが物事を考えられたら、その場ではどのようなことが起こってくるでしょうか?
「場に既にロールがある」
この言葉は、
そんな大きな視座を私に与えてくれるキーワードとなりました。
さて、あなたが普段得意とするロールはなんでしょうか?
どうしてそのロールを取ろうとするのでしょうか?
そのロールを取ることであなたの何が満たされますか?
次回は
「場が先にエッセンスもっている」です。